Y-31シーマ 初代オーナー 名取正人氏

監督として全国大会へ出場しました。右から2人目が名取正人氏

市町村合併して南アルプス市になる前の私の地域は、若草町という人口1万人弱の町でした。
若草町の鏡中條という部落は、当時の鏡中條小学校の教育方針もあり戦前から剣道が盛んな地域でした。
昭和2年生まれの名取正人氏は私の遠縁にあたる人で、昭和40年頃から地元の子供たちに剣道を教えるという、今の若草スポーツ少年団の前身を立ち上げた方でした。

自身に実子はなかったのですが、夫婦そろって子供好きで面倒見がよく近所の子供たちがよく集まってくる家でした。
子供のころから見ていた正人氏は一言で言うなら「ハイカラ」という言葉がピッタリの人で、昭和40年代にタバコは「ラーク」車は「プレジデント」と近所の農作業をしているおじさんたちとは少し違ったイメージがありました。

20年乗ったプレジデントを平成2年にシーマへ乗り換えた時私がひそかに思ったこと。
20年後は正人さんも80歳になるから、その時に骨董品になっているこのシーマを譲ってもらおう。

私が結婚した年、26歳の時のことでした。

関連記事

コメント

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA