人は死して何を残すのか

7月16日、17日の連休にお墓参りで家内の実家、徳島に行ってきました。

帰り際に寄った鳴門の渦潮。
潮の満ち引きと地形によっておこるその様は、人の出会いやその環境と重ね合わせて見ることができるようでした。

大塚美術館はNHK紅白歌合戦で歌った米津玄師の印象が強かったのですが、「Lemon」の歌詞の説明を読み、もう戻ることのできない深い悲しみ、やりきれなさに心が締め付けられました。

振り返ってみれば知らぬ間にたくさんの人を送っていました。
親世代が人を送る姿を当たり前のように見ていたはずなのに、いつの間にか自分達が主になって人を送る立場になっていました。

一人の人間の死によって何かが確実に変化します。
疎遠になっていた人とつながった経験をもつ人も少なくないと思われます。

不義理を起こさぬよう毎朝地元の地方紙に掲載されているおくやみ欄に目を通します。
最近では100歳を超えてなくなる方も少なくありません。

100年は長かったのか短かったのか。

よくある質問ですが、私はその人が「どう生きたか」ということが一番大事なことだと思います。

2日間で1,400㎞を走破し無事定位置に帰還したシーマには感謝しかありません。

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