ビアシャン秘話 ~ビアシャン誕生までの軌跡~ 第二章

農業の高齢化と平成米騒動

 肥料の販売で立身しようと思ったのですが農家の高齢化に伴い思うように売り上げが伸びなくなりました。そんな中歴史的な冷夏が平成5年日本列島をおそいました。収穫量が前年比約70%にまで落ち込み各地で店頭から米がなくなった様子を記憶している人も少なくないと思います。そんな折かねてから考えていた業務用の米の販売をメインにするというチャンスが巡ってきました。山梨県内ではトップクラスの給食事業を展開する企業からオファーがあり手持ちの国産米を全て原価すれすれの価格で納入させていただくこととしました。その後その会社の部長(当時の)にかわいがられ新規事業の展開をするたびに納入先を増やしていただき最終的には県内全域をカバーするまでに育てていただきました。

特Aの米を目指して

 立派な企業と取引をしていただくにあたってまず最初に考えたことはその企業とお付き合いさせていただくにあたって相応しい人格を自分自身が作り上げること。そしてより良い製品を喜んでいただける価格で提供することでした。毎年秋の収穫期に生産者から直接モミを買い入れ販売時にその都度精米をするという鮮度にこだわった全国的にも珍しい販売方法を確立しました。しかし通年でモミガラを処理することが困難で地域の農家の人の協力があってこそ成り立つ形態であることを考えると自分の置かれている環境につくづく感謝しなければならないと思いました。長年の研究によるマイナーチェンジで令和3年5月ついにアイホー炊飯研究所の「炊飯・米飯商品米国際コンテスト」において私の出品した「南アルプスの米」が特Aランクに認定されました。

山梨県北杜市 大泉のそば

 「そばはどうだろうか?」もう20年くらい前のころだと思います。2003年頃八ヶ岳のふもと、当時の大泉村(現北杜市大泉町)のそば組合の会長を訪ね活動内容や設備の勉強をさせていただきました。過去にコメの販売が順調に伸びていった際にも同じ手順を踏みその先進地を視察し自分の目で見、肌で直感したもの、その感性をもとに進むか退くかを瞬時に判断したわけですが、この時は新たな設備をするにあたって投資額の大きさが際立っており、また機械の併用も難しいため即座に断念いたしました。今考えてみればこれが農業参入の第一歩だったように思います

山梨の銘酒「谷桜」

 2007年当時の今沢忠文南アルプス市長から遊休農地に酒米を作付けする事業の提案をいただきました。ついては北杜市大泉の「谷桜酒造」を紹介するとという内容でした。早速市長同席のもと取引が成立し生産者を探す運びとなりました。翌日偶然にも金丸忠仁市会議員が来訪、金丸さんは当時ブラジル校の子供たちに日本の餅つき文化を体験させる活動をしており、この活動をもとにNPOを立ち上げる計画を立てていました。これが私の計画と一致しここから金丸さんを中心とした「NPO法人チーム南アルプス」が立ち上がりました。

NPO法人チーム南アルプス

 遊休農地を解消する目的で水稲栽培に取り組み県内の酒造会社に酒米を引き取ってもらう契約で仲間とNPO法人を立ち上げました。この活動は最初20,000㎡から始まったのですが徐々に栽培面積が広がっていき最終的には東京ドームと同じくらいの約45,000㎡までになりました。これをもとにブドウ栽培も手掛けたわけですが農業は雑草との戦いで作業の半分くらいは草の退治に追われます。また近年は人間による被害(盗難)や鳥獣害も多発し1年間苦労して作った作物がこんな形で収穫期をむかえることも決して珍しいことではありません。高齢化ばかりではなくこんな理由で農業をやめざるを得ない状況になってしまうことが実際に起こっており、ネクタイを締めて机の上だけで物事の判断をしている人はこれを知りません。

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